国友正晴さんの参戦記

王滝村セルフディスカバリーレース、クロスマウンテンマラソン20kmの部 参戦記
【天空のみちへ】

大阪から新幹線で名古屋を経由し、<特急しなの>で木曽福島まで約3時間。 最近プライベートの旅行など とんとご無沙汰の小生は、プチ旅行気分を満喫しながらご満悦で駅に降り立った。 さてさて王滝村まであと少しと思い勇んでバス停へ、がなんとバスはのん気な中年トレイルランナーを置き去りに、ついさっき出たばかりだという。
次ぎのバスまで1時間半もある、、、、うーん、じゃぁ歩いちゃえ!と事前にもらった地図をたよりに山の彼方を目指して歩き出した。 こんなことを書いていると本題からどんどん離れて行きそうだが、元来、じっとしているのが嫌いで、歩くことが好きな小生としては王滝村までのウォーキング記もじっくりご紹介したい気分に駆られる。
そうこう言っているうちイベント会場のある松原スポーツ公園に到着。

時刻は20日午後3時になっていた。おりしも、マウンテンバイクに出場した選手達が次々と販売ブースのある松原スポーツ公園に帰還を果 たしている最中で、汗とドロだらけの顔々には、やり遂げた充実感と自分への満足感がにじみ出て輝いていた。 何ともうらやましい光景である。ようし明日はやるぞー、っと密かにコブシを握り締め、ブースの片付けを少し手伝って、先発隊と一緒に宿舎である滝旅館に向かった。
21日のレーススタートは朝7時の為、同宿の選手やスタッフ達は皆、夕食後の宴会もそこそこに部屋に戻り、各自すばやく床についた。それにしても同僚で42kmマウンテンマラソンにエントリーのK君。おかわり5杯はすごいぞ。

21日午前4時半、誰が鳴らしたかわからないアラームで、もぞもぞ起きだした。 そこかしこで「イタタタタッ」という声が聞こえてくる。 小生はクロスマウンテンマラソン20kmだけだが、同宿の選手達の多くは20日のバイクレースにも出場している。 宿が用意してくれたおにぎりを頬張り、そそくさとレースウエアーに着替えた小生は、スタッフとは別 行動で公民館前からシャトルバスに乗り込み、途中42kmのスタート地点、氷ケ瀬を横目に、20kmスタート地点である釣りきち公園に降り立った。

朝6時を回った頃、選手は早々にウォームアップに入る人、ゼッケンを付ける人、朝ごはんを食べる人、ストレッチを始める人、形はどうあれレース前の緊張感が少しずつ辺りに漂いはじめた。
小生はと言うと、今回はじめてハイドロパック(水が入ったバックパック)を背負い走ることにしたので、水の注入やマウスピースからの水の出具合をチェックしていた。 このマウスピースから水を飲むのが以外と難しく、(先を噛むと切れ目が開き水が出てきます)と説明書には書いてあったが、なかなか上手くいかず悪戦苦闘の末、やっとコツが分かってきた。
その様子を見ていた同宿のチームトランシェンドの中辻さんが、「20kmだったんですね」と声をかけてきてくれた。
彼女も確か昨日のバイクレースに参加していたはず、「すごいですね」と言うと
「いえいえ、私はナンチャッテランナーだから楽しみながら走ります」とコロコロ笑いながら応えてくれた。
そんなやりとりをしている内に、スタート時間が迫ってきた。 20kmにエントリーのランナーは60名余り。
スタートラインの前に集合したみんなの顔は、まるでディズニーランドのアトラクションに初めて並ぶ子供のような、嬉しさと期待と不安が入り混じった、とっても良い顔に変わっていた。 そしてこの不思議な一体感はなんだろう?
これは小生だけが感じるものなのか、スタート直前には周囲の音が止まり、そこに居合わせた選手達と共鳴する波動だけが、何故か全身を包み込み感動すら覚える。それも又、幾度となくマラソンのスタートラインに立ちたくなるひとつの理由かも知れない。

午前7時、号砲が鳴った。
至福の時間の始まりである。 前半約8kmほどは延々と登りが続くと聞いた。
5分もすると先頭集団の背中が見えなくなった。
 まあいい、マイペース、マイペース。と言うのも本格的なトレイルマラソンは初めての小生は、自分の力量 を推し量れずにいた。 ロードのハーフでは1時間34分のベストタイムを持つ小生だが、このようなロケーションでのレースは初心者である。 恐る恐る登りはじめながら、昨晩自分なりに考えた前半キロ7分ペース、後半キロ4分30秒ペースを信じて、何とか2時間を切りたいという野望を胸に歩を進めていった。 20分もすると身体も回りはじめ、軽快?に登る自分に(おっ、行ける行ける)と納得しつつ、ゴロゴロ石に何度も足を取られてこけそうになる小生だった。
  5kmの標識が見えたころ、ここまで前を走っていた選手が歩き出した。追い抜きすがら「ガンバ!」とひと声かけ、「意地でも歩かん」と自分に言い聞かせる。この頃になると、前後に同じようなペースの選手が固まってくる。
そんな中、すぐ前を行く選手が突然立ち止まり、カメラを片手に自分の写真を取り出した。
そのポーズがおかしくて、何とも微笑ましいその選手に、 「良かったらシャッター押しますよ」 と声をかけてみた。
「それではお願いします」とカメラを渡され写真を取ると、交代に小生の写真も取ってくれた。
「後で写真を送ります。 頑張りましょう!」と言い残し、住所も聞かず前方に消えた。

7kmを過ぎるころ、周りの峰峯が見え始める。
太陽、風、雲、木、草、鳥、石、水、見えるもの全ての中に自分が溶け出す。
ピーク近く、恐らく標高1600m位、前が開け、雲が眼下に見える。 「天空のみち」とつぶやいていた。
苦しいはずなのに、つらいはずなのに、身体は悲鳴ひとつ上げずに心と同じ感動で癒されていた。
言葉や単語で表してしまうのがもったいないこの瞬間を、いつまでも感じていたい。
そんな感傷もつかの間、下りに入る。

ちなみにここまで、例のハイドロパックからの吸水はどうなったかと言うと、これがまぁ大変だった。
吸えども吸えども水が入ってこない。酸欠の一歩手前かと思うほど吸って、頭がクラついた。
練習したにもかかわらず、マウスピースを噛む方向が間違っていたのに気付く頃にはレースの中盤になっていた。
くだりは打って変わってジェットコースター状態。 知らず知らず 「キャッホー!」 と声を出しながらくだり降りる。 登りで抜かれた女の子にも追い付く。(結構悔しかったので、ちょっと満足)15km地点、ここまでの5km毎ラップは37分、31分、25分。残り5kmを27分以内で走れば2時間を切れる。楽勝。と16km地点の給水エイドに入った時、トップがゴールしたという情報が耳に入った。 「待ってろよー」 と負け惜しみ以外なにものでもない言葉を思い浮かべながら中年パワーを炸裂させ飛び出した。
しかし、しかし、しかし、である。足が前に出ない。 情けない。 「こんなもんかよ俺は。」 前後にいた選手が、ここぞとスパートをかけるのとは逆に、致命的なペースダウン。前に出た選手が見えなくなると、しばらく一人の時間が続いた。コース横に時折現れる小滝の水音が、後押ししてくれる。 それにしても5kmってこんなに長かったのか。思うように前に出ない脚にイライラをつのらせながら、ゴール手前の無灯火トンネルに入る。いなや、ブラックアウトした。
事前の説明で、ライトを携帯して下さい。とあったので入り口手前でスイッチを入れたのだが、明るい太陽下に慣れた目はすぐに対応してくれない。 路面の状態もほとんど判らず、さらにペースダウン。 前方に目をやると、出口の明かりの中に数名の選手のシルエットがユラユラ揺れていた。 半ばあきらめムードで、トンネルの涼しさが心地良いと思えるころ目が慣れた。
そして脚が回りだした。 トンネル内の涼しさと、ところどころ天井からしみ出る水がリフレッシュさせてくれたようだ。
「よし行ける。」 トンネルを出た小生は脱兎のごとく、さっき揺れていた背中を追った。
何回かくねくねとカーブを曲がり、またぞろペースダウンかと思った時、ゴールラインが見えた。
微かだが、拍手も聞こえる。ゴールが近づくと、カメラをかまえた人の(笑って!)という声が聞こえた。

帽子を取った。 サングラスを外した。
そして両手を突き上げた。 ありがとう と叫んでいた。
たぶん、いい笑顔だったと思う。

しびれるほど冷たい小川で脚を洗い、着替えを済ませ、帰り仕度も整い、帰りのバスがくるまでの間、表彰式を横目にスタッフの皆さんに挨拶をしていたその時、誰かが小生の名前を呼んだ。えっ と顔を上げると同僚が表彰台を指差して何か叫んでいる。
王滝村クロスマウンテンマラソン20km 2時間6分40秒 エイジ別表彰 40代の部で2位? 山の神様からの送り物だった。
表彰台では何がなんだか分からなかったが、一生自分には無縁だと思っていたところに立てた喜びは言い表せない。
でも、こんなことがあるから、いつの間にかスタートラインに立っている。
昨日とは違う、あたらしい自分がそこにいるような気がする。 そして又、みんなに会いたい。

2002年7月吉日   国友 正晴  

PS、写真を取ってくれた選手とは、ゴール後、住所交換しました。